【 私がロルファーになるまで 】・ロルフィングとの出会い私がロルフィングに興味を持ち出したのは理学療法士として勤務を開始した2000年ころだったと思います。 筋膜について調べようとインターネット検索をしました。するとそこに飛び込んで来たのがロルフィングでした。ロルフィングのロゴマークが目に飛び込んできて、「あっ、これだ!」と瞬時に思いました。そこに書かれていたコンセプトは、身体内の骨や臓器、筋肉はその間を筋膜により埋められ、裏打ちされ姿勢が保たれている。不良姿勢をとり続けると筋膜が歪んだり、くっついたりすることとで不良姿勢が出来上がり、筋膜を解きほぐすことでよい姿勢を取り戻し、楽に活動することができる。 といった感じだと記憶しています。まさに私が求めるものがそこにありロルファーになりたいと思いました。しかし、当時はロルフィングのトレーニングを受けるために教育関係の学士号が必要といった要項や、日本ではトレーニングが開催されていない事もあり、次第に私の中からロルフィングは遠ざかっていきました。 ・ロルフィングとの再会 ロルフィングの事も忘れかけていた2004。朝日カルチャーセンターでロルフィングの名をを冠した講座が開かれたので飛びつきました。そこで能楽師でもあり、ロルファーでもある安田登氏に出会いました。氏の講座は能とロルフィングの融合でまさに私の欲するものでした。また、氏に触れてもらうと瞬時に関節の可動域に変化が現れ、私の中の“ロルファーになりたい熱”が復活しました。運良く翌年からロルフィング東京トレーニングが開催され、いっきにロルファーへの道が開けていきました。 ・ロルフィングへの誤解 “筋膜を解きほぐし、理想的な姿勢を手に入れる”が私の中でのロルフィングだったわけですが。その理想は見事に打ち砕かれました。ユニット2講師のJane Harrington曰く「完璧な姿勢を提供することはロルフィングにはできません」と直球を投げ込まれました。彼女はロルファーになって20年以上のベテラン、彼女たちが何度も挑戦したが不可能だったそうです。ロルフィング創設時にIdaが筋膜に着目したところはまさに画期的だったのだとは思いますが、現在では筋膜に対する物理的アプローチはロルフィングの一部にしかすぎず、Wholismの原則*1が記すように人間全体を見るようになっています。特に神経システム、知覚といった事に重点が置かれているように私は感じています。
・ロルフィングをしていて思うこと 決め付けない事です。時にクライアントはプラクティショナー(ロルフィングをする人、ロルファー)が予想する以上の変化を見せたり、感じたりします。 ロルフィングにはレシピがあり、10回のセッションで行う事は大まかに決められています。しかし、レシピはクライアントを枠にはめずに可能性を解き放つようデザインされていると感じます。「あれ?上手くいかなかったのかな、」とこちらが思っても、クライアントの感想がまったく逆であることも多々あるのです。 「人生で最も重要な経験した」、「宗教っぽい?」、「その時はわからないけど日常に戻ると変化がわかります!」 等、私の予想を超えた経験を告白するクライアントの方がいらっしゃります。私自身びっくりす事があり、そんな経験がロルフィングプラクティショナーとしての魅力でしょうか。 ロルフィングはからだを通して日々の生活や物の見方を変える可能性を秘めています。私もそうですし多くの体験者がロルフィングによって自分を発見しています。 皆様との素晴らしい出会いをお待ちしております。 |
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【私のロルフィング 】『重力に対し、抵抗無く優雅に、軽快でバランスがとれ、痛みや慢性的なストレスが全くない、オープンな体』というロルフィングのゴールを目指すために、まず、筋膜をはじめとする軟部組織をゆるめ、筋肉やその他の組織どうしの癒着をはがす事を行います。その上で軽い運動を行い、身体への気付きを高め、無理の無い範囲で正中を目指すのが私のスタイルです。ロルフムーブメントでは極軽いタッチを主に用い、クライアントさん自らが起こしている変化に気付いていただくよう心がけます。“池に小石を投げ込む”のがプラクティショナーである私の役割です。クライアントさんには安心できる環境で、“投げ込まれた小石”によっておこる、音、波紋 といったものに例えられる自らの変化を追っていただきます。自らの状態・変化に気付くことで発展的に体や動きの変化が続くと考えています。 |